二十歳
二十歳と書いて「ハタチ」と読むのを覚えたのは、19歳の頃くらいだろうか?
15歳だった高校1年の僕にとっては、20歳の成人した人達は随分と大人に見えた。
18歳になり高校を卒業する頃になると「後2年でそんなに大人になれるものだろうか?」と思っていた。
そうして迎えたハタチ(20歳)。
大学2年の時だ。
勉強は頑張ってやっていたが、「果たして自分は大人か?」と問うと「微妙」というのが答だった。
成人式の日
成人式の日は実は非常に感動した。
新成人達である僕らの前で話をして下さった人の言葉が非常に心に響いた。
「今日からは自分は大人だ!大人としての自覚を持って日々を過ごしていこう!」
と、もの凄い思うことが出来た。
人生のターニングポイントとなった。
多くの人がお祝いの言葉を投げかけてくれたのも嬉しかった。
「あぁ自分も大人の仲間入りをしたのだ!」
と思った。
大人の気分をよく現わしているのは「永井真理子 23才」
私の大好きな曲の1つに、古い曲ではあるがシンガーソングライターの永井真理子さんの「23才」という曲がある。
この時代が進んだ現在に聞いても色褪せない歌詞がある。
~♪
23才の忙しい日に 何かが足りないんだね
情報はこんなにあふれていて 世の中は便利なのに
日陰に干された洗濯物 部屋に置いてくカスミ草
声を出さないモノ達だって 何か欲しいと言ってる
~♪
あ~、心に染みる♪
今週のお題「おとな」
あのころ思い描いた自分の将来の姿
大学2年生頃くらいはまだ「どこに就職する」とか「どんな仕事に就く」とかはまだまだおぼろげだった。
あの頃に10年後、20年後の自分の将来像をどう思い描いたものだったかな?
振り返って思い出さないと、全然覚えていない(笑)。
ふっと振り返ってみよう。
10年後の30歳は割と明確にイメージしていた様に思う。
とにかく就職してバリバリ働いて、仕事に自信を持って取り組んでいる姿だ。
結婚も30歳までにはしていたら良いな、と思い描いていた。
子供がいるかどうかは分からないが、小さくとも家庭を築いて充実した日々を過ごしているのではないか、と。
20年後の40歳のイメージはどうだったろうか?
子供は2人くらいいるイメージだ。
仕事は多少出世して偉くなっているかもしれないが、この辺はおぼろげ。
堅物になっているかな?
もう曖昧で、はっきりなんてイメージできない、それがハタチの時の40歳の私のイメージだ。
現在の自分は若き日の自分に胸を張ることが出来るのか?
振り戻って、現在の自分自身。
若き日に夢描いた自分とは当然違う。
若き日の自分は、世の中を知らなさすぎたし、淡くしかイメージを持つことが出来なかった。
より色んなイメージを明確に持つようになったのは、大学4年で就職活動を本気でやり出してからだと思う。
自己啓発本なんかも読んで、夢と目標の違いも理解し、夢を持つのではなく目標を持つようになった。
あれほど安定した生活を望んでいたはずだった自分が、ふとしたきっかけで投資なんかをやるようになった。
ブログを書いて自分の考えを世に問うような、そんな事にチャレンジしようなどとは、露にも思っていなかった。
なんだろう、あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。
もう戻れない時間がどれほど過ぎ去ったのだろう。
自分はベストを尽くしてここにいるのだろうか?
ここを目指し、歩き、走ってここに辿り着いたのだろうか?
全くサボらなかったと言えば嘘になるだろう。
でも頑張らなかった訳でもない。
自分の得意な事にもチャレンジし、その時々できる事はやったと言えると思う。
まぁそれが、理想としていた所に辿りつけたのかは別問題ではあるが。
ただ一つアラフォーの自分がハタチの自分に言えることがあるとすれば
「君が想像もしていなかった様な事が人生で起きるよ。でも怖がることはない。自分の心を信じて、自分の力を信じて、頑張れ!」
という言葉だろうか。
人生はどう転がるかは分からない。
未来を見る術は僕らには与えられていない。
僕らが持っているのは、目標を立てて、まだ見ぬ明日を信じて諦めず進み続ける営みだけなのだから。