自己の内面
ふと思うところがあったので自己の内面を掘り下げるシリーズです。
前回は3月に時間について考えました。
今回は生き方というか、生きている時の自分自身の姿勢の話です。
本気
質問です。
「日々、本気で生きていますか?」
色んな答えがあると思います。
私の答えを先に書きたいと思います。
「日頃、本気では生きていません。」
というのが私の答えでしょうか。
なんで急にこんな質問をしたのかといいますと、最近、本気で生きている人に会って話をする機会があり、ちょっと考えてみようと思ったのが今回の記事を書いたきっかけです。
その人を見ていて思ったのは、本気で生きているので手を抜きません。
自分がボロボロになる限界になるまでとことん取り組みます。
最初見ていて
「なんでそんなに頑張っているというか全力勝負をしているのだろう?」
と疑問に思いました。
「もっと手を抜きながら生きないと疲れちゃうじゃない」
と。
実際、その人は全力で事に当たるため非常に疲れやすいですし、手を抜かないので他の人にも厳しく当たります。
他人との軋轢や喧嘩なんて日常茶飯事。
その代わり手は抜きません。
完璧主義という訳ではないでしょうが、
「どうせ取り組むなら本気でやるよ!」
というのが見て取れます。
どうしてそんなに本気を出しているのでしょうか?
自分自身の生き方
ひるがえって私の生き方を見つめなおしてみます。
先ほども書きましたが、私自身は日ごろ本気を出したりはしません。
『ここだ!』という勝負の時には本気を出しますが、それ以外の時は力を抑えて7~8割程度の力でセーブ気味に日々を過ごしています。
だってそうしないと疲れちゃうじゃないですか。
日々は続いていきますし、明日は今日の次に普通にやってくる。
どこかで力を使い過ぎてエネルギー切れになったら、どうするんですか?
倒れてしまって伏せっていて良いわけではないですし、日々を継続していくために疲れ切るわけにはいかない。
だからこそ、日々はセーブ気味に過ごし、本気はたまにしか出さない。
これが私の生きる姿勢です。
いつから?
ただちょっと気が付きました。
私はいつからこういう風に力をセーブして過ごす様になったのでしょう?
振り返って思い返してみると、青春時代や大学生の頃は日々を全力で生きていたのではなかったか?
毎日を
「同じ日は1日たりともない!」
と思って、日々を全力投球で過ごし、最後夜寝る時には
「もう限界。」バタン
と寝たのではなかったか?
どうして若い頃はそんな風に生きていたのでしょうか?
それはきっと日々、自分自身を高める努力を怠らず、自分自身の成長を信じてやまず
「今日頑張って自分自身を高めていけば、まだ見ぬ自分自身になれるはず!」
と思っていたのではないでしょうか。
「自分はこんなもんじゃない!もっともっと成長できる!」
と明日を、そして自分自身を信じてやまない希望に満ちていたからじゃないかと。
どうしてこうなった?
それが、現在の自分自身は
「日々はセーブ気味に過ごし、本気はたまにしか出さない」
生き方をしています。
どうしてこうなってしまったのでしょうか?
はっきりと理由は分かりませんが、思い当たる事としては、社会人になってすぐの時に仕事が忙し過ぎて忙殺され、仕事以外の自分の時間が自宅の往復時間を入れても4時間とかしかなくなった時に何かの糸が切れたのだと思います。
「自分には無理だ・・・」
とか
「もう頭が何も回らない・・・」
とか
「何かを考えるのも嫌だ・・・」
とか・・・。
そうして仕事を通して自信を無くし、
「自分に期待していたけど自分は大して何も出来ない人間なんだな」
と強く思い知らされた時に
プッツリ
と。
「頑張っても無駄じゃない」
「明日もどうせロクな日じゃないよ」
「疲れた・・・」
とのマイナスの思いが頭を占めて、希望を持ったりまだ見ぬ自分に憧れたりとかそんな儚い(はかない)想いは抱かなくなりました。
代わりに忙しい仕事の中でも自分自身を保つため、自分自身の正気を保つために、力を抜きながらなんとかハードな仕事を乗り切っていける様に、力をセーブする術(スベ)を身に着けたのだと思います。
その後、転機もあり良い上司に恵まれたこともあって仕事は出来る様になって、仕事を回せるようになるとそこまで忙しくもなくすることが出来て現在に至ります。
もっと出来る?
現在はフリーランスとなって、会社員時代よりは時間が自由になります。
自分と家族で相談して仕事時間を決めたり家族の休みを決めたり出来る様になりました。
ずいぶんと時間的な事は融通が利く様になりました。
ただ、私自身の意識はその新社会人になってボロボロになった時に自己防衛のために身に着けた術である
「本気は出さない。力はセーブして何とか乗り切る」
生き方が体に染みついてしまっている様に思います。
力を出し切らないでセーブするために、考える事といえば
「どうやって手を抜こう?」
という事ばかり。
やらなければいけない事があったとしても
「どこを手を抜けば疲れないで済むかな?」
という考えが無意識のうちに働いてしまっていたように思います。
この生き方では現在の状況や時間の制約でいくと合わなくなってきているように思います。
ハード過ぎる忙殺される時間の中ではやむを得ない選択だった「本気は出さない。力はセーブして何とか乗り切る」という選択を改める時がきたのかな、と。
そんな気付きを、全力投球で本気で生きている人を見ていてふと気が付いたので、書いてみました。
再び問い
あなたは本気で生きていますか?
「今一度本気で生きてみようと思います。」